紫の霊果

 少し肌寒くなった日の朝、私を庭に呼ぶ母の声がするので行ってみると、隣の家にある枇杷の木を指さして「あけびが実っている」と言う。見てみると、木にツタが這って紫色の実が3つぶら下がっている。あけびの生る枇杷の木。なんとも不思議な木だ。

 枇杷の木の持ち主からは、「私たちだけでは食べきれないし、カラスのえさになるだけだから好きに取って食べてね」と言われているので、あけびもその内に入るだろうという勝手な解釈で、ひとつもらった。

 ちぎったあけびは、両手いっぱいが塞がる立派な大きさだ。名前は聞いたことがあるものの初めて見たので、まじまじとよく見た。少し褪せたような紫色の皮の中に、白い綿に包まれた黒い種がぎっしり詰まっている。母は、「おじいさん食べるのが上手だったよ」と言い、その実を口に含みスイカのようにぷぷぷと種を飛ばす。なるほどそうやって食べるのかと私も真似をする。ねっとりした触感で、控えめの甘さ。風邪の時に食べる葛湯のような優しい素朴さだった。母は、「自分が子どものころ、今は住宅街になっているここも昔は山で、そこにはたくさんあけびがあった」と、懐かしく話す。

 その昭和の話を聞きながら、私はもっと昔の時代のことを思い出していた。

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 私はあけびを見て、むべに似ていると思った。むべも同じ紫色の実である。あけびは実が割れるが、むべは実が割れない、その違いである。そしてむべは常緑性なので別名トキワアケビという。私は、むべという名前を初めて聞いたとき、変わった名前だなと思い、その由来について調べたことがあった。由来はいくつかあるが、有名な説は以下のものである。

 天智天皇が近江の地に訪れた時に、長生きで子だくさんの老夫婦に会った。天智天皇が「なぜそんなに長寿なのか、秘訣は?」と聞くと、老夫婦は「この霊果を食べているからです」と答えた。それを聞いた天智天皇は「むべなるかな(もっともであるなあ)」と言いその霊果を毎年献上することを命じた。この「むべなるかな」という言葉から、この実は「むべ」と呼ばれるようになったという。

 ちなみに、むべは、「郁子」と書く。まるで人の名前である。この字にも由来がある。むべの別の漢字表記に「薁」がある。これは、むべが自生していた近江の浦生野北部にある奥島に由来している。そして薁は「いく」と読むので、同じ読みの郁の字を当てたという。子は果実を示しているのはいうまでもなく、要するに奥島の実ということである。郁の字には、アケビ科特有のツタという意味もあるのだという。ちなみに奥島には今でも「むべ谷」などのむべに関する地名がいくつか残っているそうだ。

 話が前後するが、むべの由来の他説に、むべは贄とされてたことから、「おほにへ(大贄)」と呼ばれており、それが「おほむぺ」になり、やがて「むべ」になっていったという説がある。物の名前などどれも様々な道を通り、書き換えられて至るのであろうが、これだけ多種多様な由来を目にすると、存在に揺らぎが生じ、まさに霊のような果物に思えてしまう。不思議な実だと思うが、こうしたさまざまな説を見つけていくうちに、形作られた記憶の断片がふと再生される。

 島にたくさん生るその実を人々は「おほにへ」と呼び、薁島供御人が、朝廷に送るために大切にかごの中に入れて運ぶ。やがて誰かの手に渡り、長寿の秘訣の実と説明を受けて「むべなるかな」とつぶやく...。

そしてその実の兄弟が、私の手の中にある。

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 狭野方は 実にならずとも花のみに 咲きて見えこそ 恋のなぐさに

(狭野方は実にならなくても、花だけでも咲いて見せてください。恋のなぐさめに。)

 

むべを辿る途中に出会った歌である。狭野方(さのかた)とはあけびであるといわれている。

 

 実は、枇杷の木はもうない。主が、「カラスが散らかして近所に迷惑が掛かるので」と切ってしまったのだ。もう実も花すらもつけない霊の果物。

夕食に出された葡萄を食べながら、またあの褪せた紫色の姿を見かけることができたらと、寂しく追想した日だった。